伝説なんて、怖くない


     14



黄昏色よりやや明るい照明に照らされたそこは、
フラット自体がマンションという物件なため、換気用の小窓もない密閉型の浴室だが、
シックなデザインのシャワーヘッドが見下ろす、濃いめの色のタイル張り、
床に直置きという格好で
猫脚の付いたやや楕円の朝顔のお花みたいな形をした(敦ちゃん談)
ゆったりした浴槽が据えられた広々したスペースであり。
しかもそこが独創的というかお洒落というか、
脱衣所を兼ねた洗面所やトイレのある、所謂サニタリー空間とは
素通しの一枚ガラスの壁やドアで仕切られているだけなのが、
初めて見た時はなかなかに衝撃的だったっけ。

 “慣れちゃうもんだなぁ。”

こんな作りって最新のメジャーなそれなの?
これからは一般家庭でもこんな作りのバストイレになるの?
入ってるところが丸見えじゃない、どうして?どうして?
誰かお風呂入ってる間はトイレに行けないじゃないか、
ああでもそれって、ユニットバス式なワンルームマンションではすでにそうだったかな?
そんなこんなを胸中で展開し、困惑しつつ きゃああと赤くなったまま焦ったのも初日だけ。
何度かお邪魔しているうち、別に不都合なんてないなぁと感じたそのまま、
今ではすっかり慣れてしまっている。
特に納得しちゃったのが、

 “お風呂は一緒に入っちゃってるしなぁ。//////////”

敦の側からも直接お邪魔する自宅ではない、
別宅のようなフラットだということもあって、
外で逢瀬を楽しんで、とか、
どこか外で待ち合わせ、中也が迎えに来てくれて、とか
そういう合流をしてから 此処へは来るので、
汗かいたな、埃っぽかったな、よし風呂入ろうという流れになっており。
どちらかが入浴中に洗面所やトイレを使うという格好での
片やが裸だというよな決まりの悪い“鉢合わせ”など起こり得ないのだ、
よって、どんな不都合があるものか…と、あっさり納得がいっているよな現状で。
そんなせいか、寝室よりもすっかり明るいところで裸になることへも、
互いの体がようよう見えることにも結構慣れた…

 “…ような気もする、かな?//////////”

いやいやそこはまた別問題だよぉと、
ふるると頭を揺すった所作につられ、
頬へと流れて来た髪に隠れた耳の先を赤くしたものの。
こちらはすりガラスのドアを開けば、脱衣場や浴室には甘酸っぱい香りが満ちていて、

「桃? いやいや違う。えっと。」

何だろなんだろと考えつつ、
上から下からと両手を背へと回す、不慣れそうな稚けなさも相変わらず。
一体どうやって着たのやらと思うほど、
ワンピースの背中のファスナーに悪戦苦闘している敦なのへ、
くつくつと苦笑しつつ浴室から出て来た中也の手が慣れた様子で伸びてくる。

「どうした? 鼻が利かねぇか?」
「違いますよぉ。」

あれほど手古摺ったことへ、それはすんなりとした手際もて、
じじじっと言う微かな音とともに姉様の手が背中をすべり降り。
そのまますぐにも素肌が覗くわけではないが、それでもこれって果実を剥くような感じだなと
ちょっぴり淫蕩な眼差しになった中也さん、愛らしい妹分の華奢な肩に顎先を乗っければ。

 「あ、これ。」

寄り添ったことで、それもまたふわりと近くなったお姉さまの香りへひらめいたか、
そちらさんはまだまだ屈託のないお顔のまま “やっと判った”と明るく笑って見せる。

「杏、ですね。アプリコット。入浴剤ですか?」
「当たり。」

よく出来ましたと笑ってやり、だがだが、

「どうした疲れてんのか?」
「違います。」

虎の異能を持つ身なのだ、すぐにも判ったろうにと訊かれ、
そうじゃなくってと、ちょっぴり恨めしそうに上目遣い。

 “だって…。”

中也さんと知り合ってから、
お菓子や何やで色んな果物やお花の匂いを覚えたから、
思い出すのに迷うほどの蓄積になっちゃったんですったら…と、
すらすらっとは言えない口下手さん。
え〜っとうーっとと どう言えばなんて迷っているのを、
そちらはそれこそ蓄積が違う、とっくに虎の子の内心までも何とはなく見越しつつ、

「ほら、こないだドレスの試着しに行った店で購ったんだよ。」
「ドレスの試着…? あ。」

風呂の支度をしていた都合で、とっとと脱いでいたらしい上着をハンガーに掛けながら、
何てことなさげにけろりと言う赤毛の姉様だが、
そんな仰々しいことしましたっけとキョトンとしかかった敦が、
ハッとし、あああと思い出したそのまま、
狼狽え半分真っ赤になってあたふたしだす。
というのも、
いつだったかずんと坂の上の街並みでウィンドウショッピングをしつつ街歩きをした折に、
いかにも高級そうな、若しくは知性あふるるセンスの良さげな店が並ぶ中の一つに
こちらもいかにも鷹揚そうに踏み込んでみて、
冷やかし半分に覗いたお店だというに、
何とも大胆なことに、敦が一点ものだったらしい豪奢なウェディングドレスを試着しちゃったのだ。
それもちょっと羽織ってみるだけなんてものじゃあない、
靴やらブーケやら装飾品まで合わせるという大層な“試着”で。
店の奥から秘蔵の宝飾品まで持ち出され、
戦闘中はどれほど豪気な活躍を繰り出しても、日頃は至って小市民な敦にすれば、
途中から記憶が飛んでるほど、思い出すのも恥ずかしい一大冒険だったというに。

 『そっちのプラチナのティアラの方がいいんじゃね?
  ああほらやっぱりだ。
  顔が隠れるなんて勿体ないから ヴェールはなくてもよさそうだが、
  そういうものだからな。いっそレース遣いのを贅沢に。
  ブーケはスズランかな、いやそれだと映えねぇな、こっちの百合かなぁ。』

骨董品展に出されそうな由緒ありげな椅子に腰かけ、
女だてらに一流プロデューサーの如く指示を出す中也の鷹揚さに飲まれたか、
お店の方々もノリにノッてしまわれて。
デコルテがおきれいですから、こういうネックレスが映えるのでは。
そうだな。何ならもっと重たくても大丈夫だぞ、この子見かけ以上に体力あるし、なんて。
そりゃあもう、盛りに盛った装いを着せられ、
表通りから素通しなフロアでちょっとした撮影会に発展しておれば、
通りすがりのお客様がたからの注目も山ほど引いてしまい、

 「ご迷惑だったでしょうに。」
 「何言ってる。タウン誌に特集記事組まれたってお礼状が来たんだぞ?」

随分と舞い上がり、もはや正気がどれほど残っていたものか、
完成した姿のまま向かい合った中也へと、

 『不束者ですが、どうぞよろしくお願いします』

そんな可愛らしい決め文句を紡いでくれたお嬢さんだったのだもの。
恥をかかせたからというより、素直に嬉しかったので、
ときめいたそのまま、ワンピースを数着購ってやったのだから店への借りはないだろし。

 “それに、”

敦にはナイショだが、そのとき身につけさせたアクセサリーのうち、
愛らしい意匠だったエメラルドのピンキーリングをこそりと購っていた中也であり。
指輪のままでは異能を繰り出すのへ邪魔になろうからと、
自分が愛用しているものよりやや細めのチョーカーに提げる格好で組み入れたのを仕立てていて。
クリスマスにでも贈ろうかと構えておいで。
勿論のこと、姉様のそんな胸中など見透かせるはずもなく、
それでもああ恥ずかしかったという心持ちは何とか収まったかそれとも話を差し替えたいか、

「あの絵、クリムトっていうんですってね。」
「あの?」

テーブルの上にあったパンフと付け足され、ああとやっと合点がいく。
任務の関係で接近した富豪の経営する画廊のパンフであり、
たまたま表紙に印刷されてあっただけのそれ。
金の顔料をふんだんに使った豪奢な絵画で、原画は確かウィーンの宮殿に所蔵されているらしい。
男女が今にも一体にならんというほど深々とい抱き合い、今にも接吻しようとしている処だが、
足元は何故だか崖っぷちであり、何か含みでもあるものか。
が、中也にはそういうややこしい含みなんてのはよく判らない。

「ああいうの好みなのか?」

有名な作品なだけに孤児院で見た絵画の図録にもあっただろうし、
中也とのお付き合いの中でも目にする機会は多かったはずで。
とはいえ、即座に名前まで出るほど
意識のうちにあったなんてのが意外だなぁと感じてついつい訊き返せば、
足元に輪っかを作るような格好ですとんと脱げ落ちたワンピースを
ひょいと無造作に屈んで肩辺りを手にした敦嬢。
拾い上げつつ立ち上がりながらの応じが、

「話しちゃっていいのかな。
 最近の依頼先のお宅にあの作家の絵がいっぱい飾ってあったのですよ。」

「いっぱい。」

清楚な白地へささやかなフリルのついた
アンサンブルのブラとショーツという、
愛し子の女学生のような下着姿に甘い気分になりつつも、
聞こえた文言の意外さにはやや遅ればせながら“え?”と意識を弾かれたお姉さま。
1枚だけならともかく、似た傾向の絵ばかりとはなぁと、
中也は煮詰めすぎたジャムのハチミツ和えでも舐めたような顔をする。
甘すぎて胸焼けしないかと感じたのだ。
よほどに来訪者へ見せつけたかったのかねぇ。
自分が愛されていること、若しくは相思相愛な夫婦だということを。

 “誇示しなけりゃいられねぇとは、よほど自信がないのか露出狂かってことだがな。”

そんな感慨とは別口なこともつい思い出す。
芥川から、太宰が微妙な貌になりちょっと困ってた逸話をこそりとこぼされ、
気にすんな、奴だってさほど気に入ってる作家じゃねぇしと言ったところ、
そこまでご存知ですかとますます凹まれたのも今は懐かしい。
勿論、そんな経緯なんぞ、あいつが喜ぶだけだから言ってやる気はなかったが。

 『ああ、その話ね。
  いいのだよ。あのときあの子が初めて知ったのなら
  それへ立ち会えたのだから、私も嬉しかったしね。』

そうと思っていたのに、
どう嗅ぎ付けたものか当のご本人によって上手いこと吐かされたその上、

 『私なんて知ってることが多すぎて、
  新鮮な気持ちで臨めるもののなんと少ないことか。』

澄まし顔でそんな言いようをするものだから、
人の気も知らねぇでとムッと来た中也嬢、

 『そうかいそうかい、そういう奴って老け込むの早いっていうぜ。』

ついのこととて憎まれを返せば、

 『そうなのかい?じゃあ君はいつでも思春期なんだねぇ』
 『ンだと、このあまっ

そこからいつものような罵り合いになった辺りが芸のない二人だったが、それはさておき。

 「ほれ、向こう向きな。」
 「え? あ、はい。//////」

さっきのワンピといい、実はブラのホックへも苦戦するらしい敦ちゃん。
もしかしてまさかとは思うが同居中の鏡花くんに手伝わせてないかと、
秘かにながらも狂おしく案じ中。
いつ訊いたものかと、
これでもヲトメチックに機を窺っているお姉さまならしいです。




to be continued.(18.06.15.〜)




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 *実のところ、
  例の孤児院に居たころは 栄養不良で今ほど胸もなかったし、
  そういう気遣いなんてされてなかったしで、
  女性用のちゃんとした下着自体に不慣れなのでなかなか留められないだけなので、
  すぐにも慣れるとは思うのですが。

  「え? 鏡花くんに頼んじゃダメですか?」
  「あつし…。」
  「しょうがないなぁ。じゃあ毎朝私が着せに行ってあげよう。」
  「それは…っ「ダメですっ!」

  実は恥ずかしい苦行だった鏡花くんも、
  太宰さんが来るというのへは何かしら危機感察知能力が働いたらしく、
  中也さん以上に強行にダメ出ししてたら面白いvv

  「…私を何だと思っているのだい、キミらは。」
  「そのままだよ、糞鯖女。」
  「いいもん、芥川くんのブラは誰にも譲らないから。」
  「〜〜〜。///////」

 その前にそんな恐ろしいこと誰がしましょうか。
 って、一体何の話をしているのやら。